はじめに
8月に入ると、事務所の中が少し静かになる。
電話の本数が減り、メールの返事もいつもより遅くなる。取引先へ連絡すると、「担当者は休暇中です」と言われることも増える。
自社は通常どおり営業していても、相手の会社は休みに入っている。担当者は出勤していても、確認や承認をする人がいない。こちらが休みではなくても、仕事を先へ進めるための条件が揃わない。
このようなとき、仕事は止まっているように見える。
しかし、実際に起きていることは、仕事の停止というより、会社ごとの時間のずれである。
一つの仕事には、複数の時間が流れている
請求書を一枚発行する仕事を考えてみる。
請求内容を確認し、請求書を作り、取引先へ送り、相手が受け取り、必要に応じて内容を確認する。
普段はこの一連の流れが、比較的短い時間の中で進んでいる。
ところが夏季休暇の時期には、それぞれの工程が別々の時間で動き始める。
請求書を作成する担当者は出勤しているが、金額を確認する責任者が休んでいるかもしれない。
請求書を送付できても、取引先の担当者が不在で、受領確認が取れないこともある。
相手の会社が営業していても、経理部門だけが休暇体制になっている場合もある。
このとき存在しているのは、単純な「営業日」と「休日」の違いではない。
自社の作業時間、取引先の確認時間、担当者の稼働時間、承認者の判断時間、支払いや締切の時間が、それぞれ異なる速度で動いている。
通常の業務では、それらの時間がある程度揃っているため、私たちは一つの仕事が連続して進んでいるように感じている。
8月は、その暗黙の同期が一時的に外れる時期である。
前倒しできるのは、自社の作業時間だけである
夏季休暇の前には、「できる仕事は早めに終わらせておこう」と考える。
請求書を早く作る。給与計算に必要な情報を早めに集める。確認事項をまとめて問い合わせる。承認が必要なものは、休暇前に回しておく。
前倒しは、休暇中の混乱を減らす有効な方法である。
ただし、前倒しできるのは、自社側の作業時間だけである。
取引先が回答できる時期や、勤怠・納品数量・追加作業などの情報が確定する時期まで、同じように前倒しできるわけではない。
通常より早い時点では、まだ情報が揃っていないことがある。
勤怠が締まっていない。納品数量が確定していない。追加作業の有無が分からない。取引先からの返答を待っている。
そこで無理に仕事を完了させようとすると、仮の情報が確定した情報のように扱われたり、確認が十分でないまま送付されたりする。
休暇前に必要なのは、何でも完了させることではない。
確定しているものと、まだ確定していないものを分け、何が揃えば次へ進めるのかを残すことである。
「待っている仕事」は、何もしていない仕事ではない
相手から返事が来ない仕事は、進んでいないように見える。
社内でも、「この件はどうなっていますか」と聞かれたときに、「返答待ちです」と答えるしかないことがある。
しかし、返答待ちには複数の状態がある。
問い合わせをまだ送っていないのか。
問い合わせは送ったが、相手が休暇中なのか。
返答は来たが、社内確認が済んでいないのか。
回答がなければ処理を止めるべきなのか、それとも暫定的に進めてもよいのか。
これらをすべて「未処理」とまとめてしまうと、仕事の現在地点が見えなくなる。
待っている仕事とは、何もしていない仕事ではない。
こちら側でできる処理を終え、次の条件が揃うまで安全に止めている状態でもある。
大切なのは、待ち時間をなくすことではない。
誰の、何を、いつまで待っているのかが分かる状態を残すことである。
例えば、次のような短い記録だけでも、仕事の見え方は変わる。
「請求書作成済み。担当者の金額確認待ち」
「取引先へ7月31日に問い合わせ済み。8月17日以降に再確認」
「勤怠未確定のため計算保留。確定後、変更者のみ再確認」
「承認者不在。休暇明けまで送付しない」
詳細な管理表を新しく作る必要はない。
次に仕事へ戻る人が、何を待ち、何が揃えば再開できるのかを読み取れればよい。
担当者が不在なのではなく、判断経路が不在になる
夏季休暇中の業務問題は、担当者の人数だけでは説明できないことがある。
代わりの人が操作方法を知っていても、判断できるとは限らない。
請求書の作り方は分かっていても、この金額で送ってよいかは分からない。
給与計算ソフトを操作できても、今回の手当を含めるべきか判断できない。
会計入力はできても、どの科目を使うかは確認が必要かもしれない。
このとき不足しているのは、作業者ではなく判断経路である。
誰に確認するのか。
確認できない場合は、どこまで進めてよいのか。
誤った可能性があるとき、後から戻して修正できるのか。
この経路が残っていれば、担当者が不在でも仕事は安全に止められる。
反対に、経路がなければ、誰かが無理に判断するか、理由が分からないまま前回どおりに処理することになる。
業務継続というと、休暇中でも止めずに動かすことが重視されやすい。
しかし、すべての仕事を動かし続ける必要はない。
止めるべきところで止め、条件が揃ったあとで再開できることも、業務設計の一部である。
仕事の連続性は、速度ではなく再開条件にある
8月の間に止まった仕事は、休暇が終われば再び動き始める。
ただし、時間が空くと、それまで覚えていたことが少しずつ薄れる。
なぜ確認が必要だったのか。
相手に何を質問したのか。
どの数字が仮のものだったのか。
休暇前には明確だったことでも、数日後には資料を見直さなければ思い出せなくなる。
仕事を早く進める仕組みは数多くある。
一方で、時間が空いた後に仕事へ戻るための仕組みは、あまり意識されていない。
毎月の事務処理では、前回のデータや控えが残っていることが、次の仕事の入口になる。
GIMCALC901では、前月の給与データを起点に、その月の差分を確認していく。
GIMCALC201では、過去の納品書や請求書を参照しながら、今回必要な処理を進められる。
GIMCALC301でも、前月までの残高や入力結果が、次の処理を始めるための基準になる。
これらは、すべての判断を自動化する仕組みではない。
時間が空いた後でも、仕事の現在地点へ戻り、必要な差分から再開するための仕組みである。
8月に残しておきたい、小さな接続点
会社ごとの時間のずれを、完全になくすことはできない。
取引先の休暇日を自社が決めることはできないし、すべての担当者や承認者が同じ日に出勤するわけでもない。
だからこそ、自社側では再開条件を残しておく。
返事を待っている仕事を一つ確認する。
作成済みと送付済みを分ける。
確認できないため止めた仕事に、一行だけ理由を残す。
誰の返答を待っているのかを書く。
休暇明けに再確認する日を決めておく。
それだけでも、仕事は「止まったままのもの」から、「条件が揃えば再開できるもの」へ変わる。
強い会社とは、誰かが常に働いている会社ではない。
人や会社の時間がずれたときに、無理に同期させるのではなく、安全に待ち、何が揃えば再開できるかを残せる会社である。
8月は、仕事が止まる季節ではない。
普段は揃って見えている複数の時間が、一時的にずれる季節である。
そのずれの間に仕事の現在地点を失わず、誰の何を待ち、どこから戻るのかを残しておく。
それが、休暇のある時期にも、毎月の事務処理を静かにつなぎ直すための準備になる。